ピンの力 それがサブカルチャーに欠かせない訳
ポピュラーカルチャー界の名脇役、ピンバッジは、控えめな存在ながら、時代の声を世界に届ける役割を常に担ってきた。さりげなくありながら重要な意味を持つ、このウェアラブルなコミュニケーションツールは、個人の視点を世界と共有するデバイスであり、文化的な、そして地球社会の課題と向き合う連帯のシンボルとして折々の時代と文化を見つめてきた。サブカルチャーの中のサブカルチャーを表す象徴的ツールといえるだろう。
![](/photo/page/universe/field-study/the-power-of-the-pin-a-staple-for-subcultures/1.jpg)
スローガンTシャツと同様に、ピンバッジはファッションとコトバとが出会う場である。そのシンプルなデザインには、深いメッセージが込められる。それは人々の信条のビジュアル表現であり、仲間の印であり、権力への闘争の象徴だった。もちろん、ファッションはいつの時代にあっても自己表現の一形態だ。しかし、政治的激動、環境問題、社会不安の時代において、ピンバッジは声なき人々に声を与えてきた。政治的であろうとなかろうと、小粒で大胆なのがピンバッジなのだ。
スローガンピンバッジの発祥は、1894年、ニュージャージー州のWhitehead & Co.による。当時はボタンバッジと呼ばれていた、セロイドで覆われたバッジは、大統領選挙のキャンペーングッズとして脚光を浴びた。今でもピンバッジを「ボタン」と呼ぶ人がいるのは、当時の呼称の影響というわけだ。しかし、記念品として大量生産されたのは1897年、ヴィクトリア女王の即位60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーが最初と言われる。ヴィクトリア女王の肖像とブリタニアのマークが印刷されたピンバッジは大人気を博し、装飾とメッセージ性の融合を初めて実践して見せた。
その後、イギリスでは第一次世界大戦中のファンドレイジングの一環として市民たちによって販売されるようになった。1930年代にはウォルト・ディズニーがミッキーマウス・クラブの会員証としてピンバッジを配布。60年代になるとヒッピームーヴメントの中で政治的メッセージを発信するツールとして一気にブレイクした。
![](/photo/page/universe/field-study/the-power-of-the-pin-a-staple-for-subcultures/2.jpg)
![](/photo/page/universe/field-study/the-power-of-the-pin-a-staple-for-subcultures/3.jpg)
70年代までには、大企業から宗教団体、イギリスのテレビ番組「Blue Peter」など、さまざまなフィールドでピンバッジは使われるようになった。しかし、特筆すべきはパンクムーヴメントの中でピンバッジが与えられた特別な役割だろう。ロンドンのパンクの中心地、ポートベロー・ロードに店を構えた、Better Badgesがその震源地だった。1976年、店主のジョリー・マクフィはロンドンのThe RoundhouseでのRamonesのライブでピンバッジを制作し、販売した。彼の手作り感あふれるデザインがパンク世代のDIY感覚ハマり、ファンたちもオリジナルを手作りしはじめた。やがて(どんなにマイナーであろうと)全てのバンドがピンバッジを持つようになったというわけだ。
80年代には、ポスト・パンクのニューウェイブバンドJoy Divisionがワンランク上のピンバッジを作った。90年代後半にはBlurのDamon AlbarnやNirvanaのKurt Cobainらが、コンサートグッズとしてピンバッジを販売。ここまでくると音楽とピンバッジの関係性はもはや「伝統」となっていた。そして時代のファンが求める皮肉なメッセージをそこに載せた。そんな音楽への繋がりや、トライブ的な一体感からインスピレーションを得て、Nicholas DaleyやRaf Simonsといったファッションデザイナーたちもピンバッジをコレクションに取り入れるようになった。Supreme、Undercover、Thamesなども後に続いた。
音楽やストリートウェアを超えて、ピンバッジは、平和や人権、健康への意識喚起など、社会の主流から疎外されたグループにとっての社会運動のツールとしても重要な意味を果たしてきた。80年代のニューヨークでは、ゲイやバイセクシャルの活動家たちが、エイズに対する偏見をなくすためにバッジを配布した。ナチスの強制収容所で同性愛者を識別するために使われたピンクの三角形を反転させたデザインのこのバッジで、政府という最も力を持つ団体が、重要な話題を問題視していないことを示した刺激的なムーヴメントとなった。アメリカにおけるクィアの認知度を高めるための分岐点となった『ACT UP』の活動。この活動を通じて、FDA(米国食品医薬品局)の医薬品承認期間を早めることにつながり、HIV/AIDS患者が実験的な医薬品を利用できるようになったことで、何千人もの命が救われた。
![](/photo/page/universe/field-study/the-power-of-the-pin-a-staple-for-subcultures/4.jpg)
![](/photo/page/universe/field-study/the-power-of-the-pin-a-staple-for-subcultures/5.jpg)
今でもピンバッジはお守りのように、身につけている人が世の中で何のために戦っているか、何を支持しているのかをリマインドしてくれる役割を果たしている。近年では特に政治的な同盟を促進する力が強く見られるが、それ以上に、新しい世代がエンパワーメントの証として取り入れている光景が多く見受けられる。デモやストライキの際には社会問題や環境問題に対する活動家の声を増幅する手段として使われている。
ピンバッジは単なるアクセサリーとして見落とされがちだが、社会や政治の世界的な動きに影響を与える可能性を秘めているし、自分たちの声を探しているサブカルチャーのコミュニティや若者を団結させる力も持っている大事な存在である。
Text: Sam Trotman
Collages: Ken Balluet